察するのではなく、対話を

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勝手に察して、勝手に疲れている

先日、あるテレビ番組で

パートで遅くなった時に、

夫から「遅かったね」と言われ、

「夫の何気ないヒトコトに傷ついて、もやもやしている」

そして、

「あまり長く家を開けてはいけないのだ」

と、

パートの時間を

抑えるようにした

というエピソードが

紹介されていました。


しかし、 本当にそういう意味で言ったのか

テレビなので、

細かい前後関係は

わかりませんが、

勝手にそう解釈して

勝手にモヤモヤしているだけ

かもしれませんよね。


似たようなことは、

本当によくあると思いますが、

こんなふうに、

相手がなんとなく、

不機嫌そうだったり、

避難されていると感じ、

一方的に自分が悪くて、

行動を改めればよいのだと、

そうすれば波風が立たないのだと

考えてしまう、

こういう傾向って

とても日本人ライクで、

多かれ少なかれ、

多くの人が陥っている罠だと

感じます。

相手の本心はどうなのか

を、確かめずして、

一人で、

身勝手な想像で、

しなくてもいい

心配や我慢をしているのなら、

それは、変えていくことができますよね。

あなたと同じですか ?

ライフネット生命の、

出口 治明さんの著書

だったと思うのですが、

子供同士を向かい合わせて

「彼とあなたは同じですか ?」

「違いますよね」

「違う人ですよね」

「見た目も、考え方も、あなたと同じではありませんよ」

と、

幼稚園くらいから、

自分と他人は違う人で

見た目も違うし、考え方だって違う

という、自他の違いを認識させる、

という海外の事例を

紹介されていました。

自分と他人が違うからこそ、

その「別の人」を理解するためには、

丁寧な対話を通じた

相互理解の積み上げが必要

なのですね。


これに対し、

日本は
同質型の教育であり、

集団で同じことを、

未だに求められますよね。

集団に同質化するために、

出る杭にならないように、

本当は違う他の人の考えを、

慮ること、

空気を読むこと、

を、

生きていく上で、

ごく自然に習得していますが、

これって本当に、

高度で複雑なコミュニケーションで

腹のさぐりあいのようになって

消耗してしまう上に、

そもそもとして、

考えたことが、

正解かどうか なんて、

想像の域を出ないかぎり

やっぱりわからない ので、

ロスが多いコミュニケーション

だと思うのです。

必要なのは、対話

必要なのは、

対話を通じて

意見をすり合わせていき

妥協点を調整していくこと

そのために、

相手を理解すること

理解しようとする姿勢を持ち続けること

だと考えています。

(と書いて言いますが、非常に私も苦手なことです)

夫から「遅かったね」と言わたという、

最初のエピソードでいうと、

その一言が、

苦労をねぎらっただけのものか、

妻に、長く働いてほしくないという
気持ちからでたものなのか、

夫婦ならばこそ、

対話を通じて

確かめるべき

ではないでしょうか。

もし、「妻が長く家をあけるのが嫌」というのならば、

「ならば、何時間なら許容できるの ?」

というのを

すり合わせていくべき

ですよね。


夫源病の本などを読んでいると、

妻から、

あんな事があった

こういうふうに感じた

と夫に話しかけても、

  • 何が言いたいんだ
  • 結論を言え

としか返されずに、

そのうち

何も話せなくなってしまう

といったエピソードが

紹介されてしまいますが、

相手のことが理解できないとか

不快な態度を示されるから

といって、

そこで、

会話をやめてしまっては、

ますます、溝が深まるばかり

ですよね。

それに、そういう関係って、

不健全じゃないですか。

空気の読み合いをする

のではなく

勝手な解釈をするのではなく、

おだやかに、

すっと一言を放ち

対話を通じて、

相手のことを理解し、

自分のことも理解してもらい、

ちょうどよいポイントを探っていく、

コミュニケーションとは、

その地道な作業の

繰り返しのこと

だと思うのです。